ボスニア ヘルツェゴヴィナ親善を思い立った訳は?

 

8月上旬の頃だったかと思います。ネット上に掲載されていた一つのニュース、世界遺産を周り旅する日本人ルポライターの記事。ものすごく脳裏に焼き付き、今も動揺を覚えるくらいです。書家によるに託す“平和揮毫”がこのStari Mostスタリ・モストで開催出来ないものか。

 

ボスニア・ヘルツェゴヴィナの小さな町モスタル。モスタルの旧市街には、エキゾチックで美しい景色が広がります。ヨーロッパとは思えないオリエンタルな雰囲気が漂うこの町は歴史的、地理的背景により、古くからイスラム教徒とカトリック教徒が共存してきました。
現地の言葉で「古い橋」という意味のスタリ・モストは、町がオスマン・トルコ帝国に支配さ れていた16世紀に建設されました。橋の西側にはクロアチア系(カトリック教徒)住民が、東側にはイスラム系の住民が生活をし長い間橋を行き来して平和に共存してきました。

 

1991年に勃発した旧ユーゴスラビア内戦。民族紛争とも呼ばれるこの内戦では、クロアチア系住民、イスラム系住民、セルビア系住民による凄惨な抗争が繰り広げられました。


スタリ・モストは 1993年 11月9日クロアチア系カトリック民兵によって爆破されました。  その後、橋の双方住民の努力とユネスコの協力を得て2004年にスタリ・モスト橋は再建されその翌年に「モスタル旧市街の古い橋の地区」の名で世界遺産に登録されました。 


橋の付近には 「DON’T FORGET ’93」と書かれた碑があります。

 

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が終わった今でも、イスラム側とカトリック側を分かつスタリ・モストは、子供達が以前のように笑顔一杯に自由に行き来することは今もあまり見受けられないそうです。

 

町はずれでは今も至る所に破壊されたまま放置された建物や、銃弾の跡が残る民家などが今でも残されているままだそうで 観光客で賑わう平和で美しい町の様子が、その影の部分を一層浮き立たせます。町の人々も陽気で明るく、つい最近ここで言葉では言い表せない悲惨な出来事が起きたとは想像できません。

 

モスタルは美しい街並みを楽しめるだけではなく、私たちに何かを 教えてくれる町なのです。

 

【奥底にある箴言】

『一番苦しんだ人が 一番に幸せになる権利がる』

 

『世界平和、世界平和と云っても 民衆による文化運動でしかない。』

この様な地であればこそ「世界恒久平和」を願い東西の真ん中で町の次世代の子供達に平和思想「WA Spirit」(循環と寛容と調和の精神)の魂を観じてもらう世界平和の奉納揮毫を行うことが民衆による平和活動の根幹を為し、平和を創っていく文化活動の他ならないものであるとの確信に至りました。

 

モスタルの街はけして欧州に代表される凱旋門やエッフェル塔、ノートルダム寺院にみる煌びやかな所ではないのかも知れません。日本人には一般的にその奥深さ、観光都市の要素には物足りないのかも知れません。だからいま民間交流が必要ではないかと思いました。

 

最後になりますが、この先をとらえた時、ボスニア・ヘルツェゴヴィナと日本の”懸け橋”に日本伝統文化の親善交流を為し美しい町モスタルとTOKYOの何処かで「姉妹都市制定」をも視野に民間外交の第一歩と僅かながらも寄与して参ります。

 

 

2017年12月15日

在日ボスニア・ヘルツェゴヴィナ大使館 承認アンバサダー

和田淳彦